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2008年4月22日 (火)

結審ではない光市判決

さきほど判決が出た広島高裁ですが、前にも述べました通り、ひとつは最高裁が死刑を回避する事由は見当たらないと言い切っておきながら差し戻すのはおかしいと指摘しました。

なぜ最高裁で判決を言い渡せなかったのか、責任を回避してしまいましたよね。このためにさらに時間と経費を費やし、被害者の精神も極限状態を超えたまま、つらい思いがいたずらに続いたものと思います。

しかも差し戻した為に、さらに上告の可能性があるわけですよね。いい加減いして欲しいというのが本音です。

そしてこのような結果が出たのは、ひとえに遺族の本村さんの執念、怨念と冷静に社会に訴え続けてきたことがあると思います。くやしい思いを抱いたままの他の被害者遺族は泣き寝入りですよ。

このような行動がなくても的確な判決が出るようでなければ、被害者は、あきらめ切れません。

それにしても、弁護団はいっしょにいけにえになるべきではないですか、すべてが作り話であることを、裁判長に見抜かれてしまいましたよね。いくらなんでもドラえもんはないでしょう、いい迷惑だと言ってますよ。

虚偽で固めるくらいなら、すべて事実を認めて、命が続く限り最良の方法を持って償います、どんなことをしても一生供養し続けますという気持ちを信じてもらえるようなことを考えていったほうがよかったのではないでしょうか。

うそをもってして人の心に通じるわけはなし、潔しとするなら上告はやめなされ、結果は同じ、時間の無駄ですよ、もっとも時間稼ぎになら有効でしょうけどね、弁護士の最後の悪あがき、常套手段ですね。

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2008年4月18日 (金)

片手落ちの死刑執行放送

文化放送は「裁判員制度を前に、死刑の現状を広く伝えることは意義がある」として、53年前の死刑執行の様子を5月6日に、なまなましく放送するといいます。

これがなにを意図するのかは明らかであって、民間人の裁判の判断が、プロよりも厳しい判決になることにブレーキをかける狙いがあるものと思います。そして暗に死刑反対を匂わせてますね。まさか絞首刑じゃなくて銃殺がいいとか、薬殺が近代的だとかいう論点ではないでしょう。

死刑囚に死刑執行を伝える刑務官の声や、読経が流れる中、刑務官と死刑囚とが最期のやりとりをする様子などが収録されているというけれども、そういった中で、なんとか執行を中止させられないものか、かわいそうだなどという感情へ視聴者の思いを誘導しようという魂胆がありありです。

ならば、なぜ執行に至ったのか、どのような残虐な犯罪を犯したのかも、リアルに再現して報告するべきでしょう。刃物でメッタ突きにしたのか、灯油をかけて焼死させたのか、命乞いをしてるのに、穴に入れて生き埋めにしたのか、薬を飲ませてのこぎりでばらばらにして捨てたのか、詳細に報道しなさいよ。

ある部分だけピックアップして、心情を変えてしまおうというのは、メディアのプロパガンダであって許されるわけはない。遺族の了解も取っているということだけども、死刑囚の遺族じゃしゃあないだろう、被害者の遺族はまったく無視、殺された側への配慮は微塵も感じられない。

文化放送よ、あなた側の身内で残虐に殺された人がいてもこんな放送を企画をするっちゅうんかい。 

鳩山法務大臣になってから執行は10人目となった、なんていうのがニュースになること自体もおかしいんだよね、死刑が確定したら法の下に執行するのは、当たり前。

それにしても執行前に読経が流れるなんて、至れり尽くせり、ちょっと待て、生きてるうちに自分への読経を聞かされるなんて、ぎゃ~~恐怖を煽り立てられる、わ~考え出したらこれ、弔じゃなかった超恐~~い。

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2008年4月15日 (火)

きんたろ飴の自民党

まだ解散しないとか言うけれど、どこで切っても結果は同じ、かえって益々悪くなっていってますよね。失効した多国籍軍への給油をわざわざ再開し、暫定税率も復活させようとして、油で国民は苦しめても油で戦争には加担。それはちょいと逆じゃないかな。

そしてきょうからは高齢者を狙い撃ちの増税、ここまでくると悪政ですね。この陰で利権をむさぼっているふとどき者、許している神はなにをお考えかな。

絶妙なタイミングで山口2区の衆院補選、このまま道路工事がストップしていいのか、と早速問題をすり替えている自民党、ここで自民党が勝つようなことがあれば、ぼくは日本人をやめたい。ここまでお人よしの国民に付き合ってられないよ。

片や民主党にしても、一般財源に移行という、これだっておかしな話し、暫定税率そのものの廃止でなければ国民は納得しないのではないですか。

血税を湯水のように使いまくり、私腹を肥やす官僚に政治家、高齢者や弱者に銃口を向けているような政治が、支持されるわけはなし、そういったことを許している神って、それは国民のことかも知れませんよね。よく知らないけど。

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2008年4月 9日 (水)

誰のせいか非のない聖火

平和の祭典とは思えぬ光景、聖火も消えてしまったけど、ランナーに非はないんだからさ、妨害することはないんじゃないかなと言いたいところですが、チベット暴動を武力で制圧した中国に世界の非難が集中、もとよりダルフール紛争加担、大気汚染に公害撒き散らし、食品、衣料におもちゃに薬、世界に恐怖をばらまき、こんな国でオリンピックなんかできるのかと、以前から囁かれてました。

国民はいい人が大勢いるのでしょうけどね、人を抑圧する政策はよくないんじゃないでしょうかね。農民も圧制に苦しんでいます。人類皆兄弟、仲良くできるはず、一部の政治家が方向を間違ってるだけと思っています。

こういった妨害行動が本当に中国政府の反省を促し、平和裏の話し合いで自治区の生活環境がよくならいいですけどね、自らの国を省みた場合、他国を抗議できる資格がある国がどれだけあるのかなって感じてしまいます。

日本捕鯨船への攻撃もそうですが、捏造や歪曲された虚偽に踊らされ、おたけびをあげることに自己の存在価値を見出す人たちが増殖しています。妨害することに使命を感じるのではなく、いかに平和を導くのか、を考えていくことが大事ではないでしょうか。

聖火ランナーを味方にして、「希求平和」とかのプラカードを聖火といっしょに持たせて走ってもらったほうが、よっぽど強烈でかつ聖火リレーを円滑にする方法ではないでしょうか。それに同調する群集がいっしょになって走る、この方が成果がある!と思いますけど、いかがでしょうか。

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